第1回 教授の独り言 (2021.6.)
研修医時代の思い出
私の進路は熟慮の末の決断というよりも、偶然で決まってきた気がします。今回は研修医時代の思い出をご紹介したいと思います。福岡大学医学部を卒業後、東京にある虎の門病院を初期研修先に選びました。私が医師になったのは1998年です。現在のようなマッチング制度はなく、日本医事新報に掲載される研修医公募情報を学生時代に調べていました。見学にも行って、自分で願書を取り寄せて試験を受け、内科レジデントに採用されました。採用試験は確か日曜日でした。内科、外科、産婦人科、小児科と病理の試験がありました。筆記試験問題の一部はまだ記憶しています。自覚している性格を問われ、「飽きっぽい」と答えると「途中で投げ出さずに研修をやり通せるか」と面接官に鋭く聞かれたのを覚えています。その日の夜、福岡の自宅に戻って20時ごろだったと思いますが、合格通知の電話がきました。非常に厳しい指導で有名な病院でしたが、診療に対して惜しみない貢献をしなければならないことを徹底的に叩きこまれました。私はいわゆる町医者の長男でした。一日も早く一人前の臨床医になりたいとの思いが強く、自分に研究は必要ないと真剣に考え(のちに誤りだと気づきます)、大学には入局しなかったのです。寝食を忘れてとにかく必死で働きました。最も多い時、一人で20人以上の入院患者さんを受け持っていました。働き方改革が始まる前の話ですから、夜中の1時や2時まで病棟に残って退院サマリーを書いていました。院内寮居住が義務だったので、帰りの時間を心配しなくて良かったのです。先輩や同期は本当に優秀な人ばかりで、他人の倍は頑張らないと到底追いつかないと思ったものです。内分泌・代謝科をローテーションしている時に糖尿病学の魅力に出会いました。たまたま受け持った患者さんから多くのことを教えてもらい、糖尿病合併症に関心がわいてきました。病態が複雑で、研修医泣かせの症例でしたが、かえってそれが面白いと思ったのがこの道に進むきっかけでした。私は決して、志の高い研修医ではありませんでした。自分の進路も結局は自分では決めきれなかったのです。研修医時代、辛くて何度も辞めてしまいたいと思いました。その理由は無力感です。少しでも無力感から脱却したいという気持ちだけが、研修医としての日々を支えてくれました。皆さんはどんな研修医生活を過ごしていますか?