第2回 教授の独り言 (2021.6.)
研究のお話
今回は私の大学院生時代のお話をご紹介します。研修医や専攻医の皆さんには、将来、是非研究に携わる機会を持って欲しいと思っています。私は前回、自分に研究は必要ないと感じて、虎の門病院で研修をした、と書きました。しかし、それは大間違いでした。私は虎の門病院で研究の世界があることを知り、大学院に進学することになりました。様々な診断や治療方法を勉強しているうちに、どうしてこんなことを思いついたのだろう、論文に書かれているような何か新しいことの創出に関わってみたいと考えるようになりました。話を聞かせて頂こうと指導医を訪ねました。虎の門病院には沖中記念成人病研究所が併設されており、診療の合間にそこで研究をされている先生方がいたのです。実験機器に囲まれた研究室に通された時は、本当に驚きました。昼間の臨床医の顔とは別の姿を見たからです。この時に、研究することの意義について色々と聞かせて頂きましたが、研究をすることで診断・治療の新しい方法や概念を作ることが出来る可能性があることを知り、「何だか試しにやってみたい」という冒険心のようなもので大学院に行ってみようと思いました。幸いにも東京慈恵会医科大学に入局させて頂くことが出来ました。ここでも自己の強い意志があったとは言えず、「頑張ってダメだったら、研究はさっさとあきらめて、臨床一本で生きていこう」という程度の考えであったと思います。研究の手ほどきを生化学教室で受けたのちに、東京大学で研究する機会を与えて頂きました。良いデータはどんなに実験してもなかなか出ませんでした。情けない話ですが、ここでも私は何度も投げ出してしまおうと思ってしまいました。データが出始めたのは大学院4年生になった時でした。これでようやく論文を書いて学位(博士)を取得することが出来ました。途中でやめなくて良かったと思いました。苦しんでいる時には分かりませんでしたが、終わってみると我慢、忍耐が大切であることを学びました。指導医の先生方は私以上にそれを感じていたことでしょう。それまで苦しかった研究が急に楽しくなりました。自分で実験をしてデータを出すことに喜びを見出したからです。自分が出したデータと他人が出したデータは全く重みが違います。思い通りのデータが出た時は、表現できないほどの興奮を覚えます。もう一度だけ、あの瞬間を味わいたいと繰り返しながら今日に至っています。診療や雑務に追われる中、良いデータに触れるだけで全てのストレスが吹き飛びます。学位を取ってから、臨床の視点が少し変わったような気がしました。研究をする目的のひとつは「臨床を深化させる」ことにあると思います。自己の栄達ではなく、患者さんのために研究があることは言うまでもありません。ただ、最初は大それた目的や目標はいりません。あきらめずに継続する気持ちさえあれば研究は出来ます。もちろん向き、不向きはあるでしょう。私も自分が研究に本当に向いているのかどうか自信がありません。ただ、やってみてから、向いているかどうかを決めないと、もったいないと思いませんか?研究の素晴らしさを教えてくれた指導医の先生方に私は深く感謝しています。